人間の知恵は無限です。我々はその知恵を余す事なく発揮し、顧客の皆様の為にもてる力を注いでいます。
21世紀を迎えることができる幸運と興奮と感動を覚えつつ、業界のリーダーであるという理念と目標を
もって顧客の要望にお応えできる商品とサービスを提供以外にはない、生活と文化の向上に寄与していきたい、その役割は何かを常に考えて知識を高めて、技能を磨いています。
明るく平和で穏やかな時代を迎える為に様々な情報を把握し、蓄積されたノウハウを駆使し、多くの皆様に
貢献していく所存でございます。

代表取締役社長(CEO) 新 井 英 輔
商号
株式会社 新井清太郎商店
創立年月
創業 明治21年(1888年)4月
設立 昭和11年(1936年)1月25日
代表者
代表取締役社長(CEO) 新井 英輔
資本金
2,000万円
役員数
6名
社員数
60名
事業所数
本社 1、事業所 1
年商
57億円(令和3年度実績)
本社
横浜市中区尾上町1丁目8番地
TEL 045-681-6724
FAX 045-662-2357
ホームページ http://www.seitaroarai.co.jp
取引銀行
みずほ銀行横浜支店
横浜銀行本店
三菱UFJ銀行横浜支店
りそな銀行横浜支店
静岡銀行横浜支店
東日本銀行横浜支店
商工組合中央金庫横浜支店
【横浜本社】  〒231-0015 神奈川県横浜市中区尾上町1-8
  ■ JR京浜東北/根岸線 関内駅 南口より 徒歩5分
  ■ 横浜市営地下鉄 関内駅 1番口より 徒歩5分
  ■ みなとみらい線 日本大通り駅 1県庁口より 徒歩8分
  • 明治14年3月
    (1881年)
  • 初代新井清太郎(現在の栃木県佐野市生まれ)、千葉県香取郡滑川村(現・下総町)から横浜に移り(当時、数え21歳)、以後、本町1-12の漆器売込商、会津屋商店を振り出しに仏、独系商館に勤務
  • 明治21年4月
    (1888年)
  • 初代清太郎、尾上町1-10(当時、神奈川県横浜区、翌年4月 市制施行により横浜市となる)で、個人経営の貿易商、新井商店を開店 麦稈真田、製鳥、骨董の外国商館への売り込みを業務とする
  • 明治26年
  • 百合根、糸瓜の外国商館への売り込み開始
  • ( 明治32年7月
  • 改正通商条約実施 )
  • 明治37年
  • 百合根、麦稈真田、糸瓜などの欧米向け直輸出を始める
  • 明治45年/大正元年
  • 尾上町1-11に店舗を新築 総ケヤキ造り、2階建て、延べ198m2
  • 大正3年1月
  • 店主、横浜市会議員に当選
  • ( 大正3年7月
  • 第一次大戦始まる )
  • 大正3年11月
  • 小樽市稲穂町に営業所、中国・天津仏租界に出張所を開設
  • 大正4年
  • 南吉田町(現・南区浦舟町)、松影町、日ノ出町(現・いずれも中区)に豆類選別工場を開設
  • 大正4年2月
  • パナマ運河開通を記念してサンフランシスコで開催のパナマ太平洋万国博に百合、日本庭園、盆栽など出棟(12月上旬まで)
  • 大正4年3月
  • 店主、横浜商業会議所議員に当選
  • 大正4年9月
  • 店主、神奈川県会議員に当選
  • 大正5年9月
  • 神戸市栄町4丁目、名古屋商会内に神戸出張所を開設
  • 大正6年2月
  • 神戸出張所を八幡通5-130に移転
  • ( 大正7年11月
  • 第一次大戦休戦 )
  • 大正8年3月
  • 神戸出張所、支店に昇格して三宮町3丁目43番館に移転
  • 大正9年1月
  • 本店雑穀部門を縮小、小樽営業所、天津出張所を閉鎖
  • 大正11年7月
  • 店主、出張先、鹿児島県沖永良部島で脳溢血のため死去
    店主の長兄、岩太郎の二男、伊之助、清太郎を襲名して二代目店主に、
    店名を「新井清太郎商店」とする
  • 大正12年9月
  • 関東大震災により、本店店舗、附属施設、南吉田町その他の工場、貯蔵商品など焼失
    被害額25万7,000円
    10月中旬以降、百合根、温州ミカン、麻真田などを横浜、清水、神戸から積み出して再起をめざす
  • 大正13年1月
  • 本店焼け跡に応急的店舗、倉庫、作業場が完成
  • ( 昭和4年10月
  • 世界恐慌始まる )
  • 昭和4年10月
  • 百合根、温州ミカンの輸出好調、クリスマスデコレーションの輸出取り扱いを開始
  • 昭和9年
  • 世界経済の回復により業績も好調
  • 昭和9年9月
  • 神戸支店、三宮町1-264に移転
  • 昭和11年1月
    (1936年)
  • 個人経営から会社組織に改組(株)新井清太郎商店とする
    資本金100万円社長に二代目新井清太郎
    尾上町に本社社屋新築工事着工(臨時本社事務所を常盤町2-17に開設)
  • ( 昭和12年7月
  • 日中戦争始まる )
  • 昭和12年8月
  • 名古屋市東区東主税町19に名古屋出張所を開設
  • 昭和13年1月
  • 本社新社屋完成 鉄筋コンクリート造り、地上4階、地下ボイラ一室、
    延べ1,075.80m2
  • ( 昭和14年9月
  • 第二次大戦始まる )
  • 昭和14年12月
  • 中国・上海市福州路33号に新井洋行を設立
  • 昭和15年4月
  • 上海特別市政府が新市街の建設計画を進めていた股行区弐図地の12,555m2の土地に新井洋行の店舗・住宅の建設用地として地上権を設定
  • 昭和16年4月
  • 名古屋出張所を閉鎖
  • ( 昭和16年12月
  • 太平洋戦争始まる )
  • 昭和17年3月
  • 仏領インドシナ・サイゴン(現ベトナム・ホーチミン市)ガリエニ大通51号に新井洋行を設立 昭南(現・シンガポール)、ハノイ、ラングーンに支店をおき、ヒマの栽培、ダイヤモンド、鉱石などの収集に当たる
  • 昭和20年5月
  • 空襲により本社社屋被災 1階と4階の各1室を除いて焼けただれ、附属の倉庫、山下町の倉庫など焼失
  • 昭和20年6月
  • 空襲により神戸支店被災 須磨区離宮前町63の支店長宅を仮店舗とする
  • ( 昭和20年8月
  • 太平洋戦争終結 )
  • 昭和20年9月
  • 本社社屋、1階の1室を除いて駐留軍が使用を開始
    終戦により在外資産喪失
  • ( 昭和20年12月
  • 貿易庁発足、政府貿易始まる )
  • 昭和21年2月
  • 手持ちの電球(大阪市西区・住友倉庫に寄託)、糸瓜、釘などの国内販売で再出発
  • 昭和21年12月
  • 政府貿易代行として百合根をアメリカ向けに輸出
  • 昭和22年5月
  • 本社社屋全面接収となり、磯子区磯子浜(現・磯子2丁目)の社長宅を仮本社とする
  • 昭和22年11月
  • 政府貿易代行として温州ミカンをカナダ向けに輸出
  • 昭和23年4月
  • 東京都千代田区内幸町1-1、東拓ビル内に東京出張所を開設
  • 昭和23年9月
  • 神戸市葺合区(現・中央区)磯上通8-9所在の家屋を譲りうけて神戸支店店舗とする
  • ( 昭和24年4月
  • 1ドル=360円に )
  • ( 昭和24年5月
  • 通産省発足、貿易庁廃止 )
  • ( 昭和25年6月
  • 朝鮮戦争勃発 )
  • 昭和25年12月
  • 東京出張所、港区芝田村町2-17(現・新橋2-10-7)に移転
  • 昭和26年10月
  • 本社社屋接収解除となり、本社、尾上町に復帰
  • ( 昭和27年4月
  • 講和条約発効 )
  • 昭和28年5月
  • 神戸支店店舗を拡張(隣接の39.6m2の事務所を買収)
  • 昭和28年10月
  • 本社裏手に倉庫完成495m2
  • 昭和30年9月
  • 東京出張所改築工事完成 2階建て木造、延べ135.5m2
  • 昭和31年3月
  • 二代目社長、胃潰瘍のため死去
    社長の二男、二郎が三代目社長に就任、清太郎を襲名
    (長男、精一郎は大正9年に2歳で早世)
  • 昭和31年5月
  • 東京出張所、支店に昇格
  • 昭和32年1月
  • 本社社屋改装工事着工(8月に完成)
  • 昭和33年3月
  • 神戸市葺合区(現・中央区)磯上通6-1の土地(225m2)に、神戸支店社屋の新築工事着工(7月に完成、鉄骨モルタル塗り、2階建て、延べ280m2)
  • 昭和34年9月
  • 資産再評価法による再評価積立金を資本金に組み入れて増資を実施、
    資本金を400万円とする
    ついで10月750万円とする
  • 昭和36年1月
  • 中区住吉町3-28の社有地で、「住吉町新井ビル」の新築工事着工(9月に完成、鉄筋コンクリート造り、4階建て、延べ1,433m2)
  • 昭和36年6月
  • 日米商事(株)の全株式を買い入れ
  • 昭和37年3月
  • (株)関内スーパーマーケットを設立(営業開始4月25日)
  • 昭和37年10月
  • 関内ギャラリーを開設
  • 昭和38年4月
  • 東京支店社屋を解体して、その跡地に支店社屋新築の工事着工(翌39年4月に完成、鉄筋コンクリート造り、地上4階、地下1階、延べ433.9m2)
  • 昭和38年7月
  • 中区常盤町2-17の社有地(560m2)に駐車場を開設(以後、中区簑沢、山下町、新山下町、磯子区屏風ヶ浦、中原、森四丁目に相ついで駐車場を開設)
  • 昭和39年6月
  • 通商産業大臣から、この年4月に制定の「輸出貢献企業」の認定をうける(以後、貿易政策の転換から46年にこの制度が廃止になるまで例年継続して、この認定をうける)
  • 昭和39年10月
  • 増資、新資本金1,000万円に
  • 昭和40年8月
  • 関内通商(株)を設立
  • 昭和41年3月
  • 神戸支店増築工事完成 3階建て、延べ420m2
  • 昭和41年4月
  • 中国・広州交易会に初参加
  • 昭和41年9月
  • 増資、新資本金1,500万円に
  • 昭和42年10月
  • 増資、新資本金2,000万円に
  • 昭和43年3月
  • アライガーデンセンター発足 敷地2,000m2
  • 昭和43年4月
  • 創業80周年祝賀会
  • 昭和43年7月
  • モロッコへ寒天プラント輸出契約を締結(翌44年9月、プラント完成、引き渡す)
  • 昭和44年2月
  • 栃木県太田原市に農場を開設 65,237m2(のち47年5月、更に10,055m2を追加)
  • 昭和44年3月
  • 千葉県富里村に農場を開設 5,028m2
  • 昭和44年12月
  • 千葉県八街町に農場を開設 12,677m2
  • 昭和46年5月
  • 中区かもめ町に本牧倉庫を開設 鉄筋スレート葺き、2階建て、延べ4,311m2
  • 昭和46年12月
  • 千葉県八街町に千葉温室を開設
  • 昭和47年
  • クリスマス用電球輸出最盛期(輸出額190万6千ドル)
  • 昭和48年2月
  • 北海道新冠町に農場を開設 142,282m2
  • 昭和48年9月
  • (株)新清を設立
  • ( 昭和48年10月
  • 石油ショック起こる )
  • 昭和48年11月
  • 社長、横浜・上海友好都市提携宣言使節団員として上海へ
  • 昭和51年10月
  • 関内通商(株)が中国政府から友好商社として認定になる
  • 昭和52年3月
  • 社長、藍綬褒賞を受賞
  • 昭和52年5月
  • 社長、日本農産物輸出組合理事長に就任
  • 昭和52年11月
  • 金沢区鳥浜町12に鳥浜作業場を開設 鉄筋造り亜鉛メッキ葺き、2階(一部3階)建て、延べ1,254m2
  • 昭和53年11月
  • 創業90周年記念式
  • 昭和54年11月
  • 当社90年史を刊行
  • 昭和54年12月
  • 社長、横浜市人事委員に就任
  • 昭和55年7月
  • 日米商事(株)のレストラン「ハナマサ」(「ハナイチ」)磯子店開業(平成10年10月閉店)
  • 昭和57年10月
  • 社長、横浜商工会議所副会頭に就任
  • 昭和58年6月
  • 社長、横浜ファッション協会会長に就任(61年6月に退任)
  • 昭和58年7月
  • 東洋土地開発(株)を設立
  • ( 昭和58年11月
  • "みなとみらい21"事業起工式 )
  • 昭和59年7月
  • 社長、「(株)横浜みなとみらい21」の常務取締役に就任(平成2年6月に退任)
  • 昭和60年11月
  • 社長、横浜商工会議所副会頭を退任、顧問に
  • 昭和61年1月
  • 中区常盤町2-17に「常盤町新井ビル」完成
  • 昭和61年2月
  • 本社を一時、「常盤町新井ビル」に移転
  • 昭和61年11月
  • 旧本社社屋解体の跡地で「関内新井ビルディング」の起工式
  • 昭和62年12月
  • 社長、横浜市人事委員を退任
  • 昭和63年4月
  • 創業100周年記念式
  • 昭和63年9月
  • 「関内新井ビルディング」落成
  • 昭和63年10月
  • 本社、尾上町に復帰
  • 平成元年3月
  • 横浜商工会議所から創業100年会員企業として顕彰をうける
  • 平成元年5月
  • 社長、社団法人横浜貿易協会会長に就任
  • 平成元年6月
  • 社長、財団法人産貿ホール理事長に就任
  • 平成2年10月
  • オランダ・リッセに出張所開設
  • 平成5年1月
  • 神戸新井ビル竣工(9階建て、1,178m2)
  • 平成6年5月
  • 山下町新井パーキング竣工(450台収容)
  • 平成6年9月
  • 曙町新井ビル竣工
  • 平成8年5月
  • 社長、勲四等旭日小授章を受賞
  • 平成8年11月
  • 社長、横浜文化賞を受賞
  • 平成9年3月
  • 売上高100億円を超える
  • 平成9年5月
  • 社長、横浜貿易協会会長を退任
  • 平成9年6月
  • 社長、産貿ホール理事長を退任
  • 平成10年1月
  • 創業110周年記念式
  • 平成10年6月
  • 神奈川県産業貿易振興会会長に就任
  • 平成11年11月
  • 三代目社長、動脈硬化のため死去
    妻、光世が四代目社長に就任
  • 平成13年9月
  • 東京支店、神戸支店を統合し、伊勢佐木支店とする
  • 平成16年4月
  • 伊勢佐木支店名称変更、営業三部として本社へ移管
  • 平成20年3月
  • 海陸産部名称変更、営業二部とする
  • 平成20年7月
  • 農産園芸部名称変更、営業一部とする
  • 平成20年10月
  • 四代目社長新井光世、代表取締役会長(CEO)に就任
    宮治英輔が五代目代表取締役社長(COO)に就任
  • 平成23年11月
  • 三代目社長 十三回忌法要と偲ぶ会を開催
  • 平成28年12月
  • 新井光世、取締役会長に就任
    宮治英輔が新井英輔に改名し、代表取締役社長(CEO)に就任
  • 平成30年11月
  • 創業130周年記念式

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